オシャレな会社設立
リーガルな範囲内で収益を求める行動をとったとすれば、それまでをも悪いものとするのは、逆のいきすぎともいえると思います。
収益を求めること自体が悪であるというような、一方の極端に世論が動いてしまった。
バブルのころの行動に多くの問題があり、バブルの崩壊後、人びとの心が熱狂(ユーフォリァ)から解かれ、やっと平常心に戻ってきたことは事実ですし、長い目で見れば平常心を維持することがとても大切なのはいうまでもありません。
ただ、もともと経済のダイナミズムの源泉は、いいとか悪いとかではなしに、人間の一種の宿命としてアニマル・スピリットであったりロマンであったり、あるいは競争主義であったりするのです。
発展をもたらしてきたダイナミズムを否定し切ってしまいますと、社会は活力を失い、停滞状態に陥ってしまいます。
H谷川意外と経営者のなかにすらあります。
いちばんいい例がソニーの盛田昭夫さんのような議論です。
ああいう議論を推し進めていけば、企業家は自分で自分の首を締めることになります。
ああいうように競争を排除することをよしとし、競争を排除する社会を当然というふうに受けとめてしまえば、企業は活力を失うのは目に見えています。
またこれも大事なことですが、金融を緩めすぎるとバブルが復活するという議論は間違いで、その大きな間違いを宮沢がいちばん主張していたのです。
困ったことでした。
一九九二年から九三年にかけて、何人かの日本の経済界を代表するような、いわゆる論客という人が宮沢のところに行って、「もう少し本格的に金融を緩めていただきたい。
思い切って赤字国債を発行してでも、もう少し財政を拡張していただきたい」というようなことを陳情に行った。
すると例外なく、「あなたはバブルを復活させるつもりですか」といわれて、しゃんとなって帰ってくるのです。
なんというだらしないことでしょうか。
経営者としての責任を放棄した言動ではないでしょうか。
その点を、いろんな機会に直接ご本人にいいました。
するとこういう人たちは、みんな同じことをいうのです。
「マスコミが怖い」と。
「私はテレビに出ても、バブルがよくないというのは間違っていて、バブルは自由経済のシンボルであるといって一歩も譲ったことがない」といいますと、「あなたは一匹狼で身が軽いから、そんなことがいえるのだ」というわけです。
U草私はこの点は、H谷川先生と少し違った考えを持っています。
バブルの定義の仕方が違うのかも知れませんが、理論値から上へ離れている差の部分をバブルと定義しますと、バブルは必然的に永続しないものです。
バブルが生まれるときはいいのですが、バブルであればいつか必ず破裂するわけで、その破裂のさいに多くの苦しみが生まれる。
国民生活の安定ということを考えれば、政策としてはできるだけバブルの生成を未然に防いでおいた方がいいと思うのです。
とくにマネーの供給量でバブルが生まれるとすれば、金融政策の責任だと考えるわけです。
ただ最近の議論のなかで、株が上がるとすぐにミニバブルといって騒がれることには反論があります。
ミニバブルという表現そのものに、悪いものというニュアンスが込められていますが、景気の底入れの論争と似ているのですが、言葉の定義を明確にしない議論で不毛です。
株価に理論値というのがあるとして、理論値から上方に離れていく状態をバブルと定義すると、理論値がいくらかという議論をしないで、バブルかバブルでないかは定められないのです。
私は、最近の日本の株価の上昇を、一九九一年から九二年に下方へオーバーシュート重論値よりも下方への禿離)した株価が適正値に戻る過程というように理解しています。
バブルではなくて、逆バブルの是正ですね。
ガルブレイス(宗確実性の時代』で有名なアメリカの経済学者)は過去のバブルを検証して、「バブルが生まれるための必要十分条件は、世のなかに神話が存在することと、量的な面で金融が支援すること」といっています。
この二つがなければバブルはできないし、この二つがあったときにバブルが必ず生まれるということなのですが、現在、右肩上がりの神話を信用している人はおそらく一人もいない。
みんな眉唾で見ている。
したがって現在、バブル発生の可能性は皆無です。
私はバブルの心配はないなかで、現在の金利に関していえば、日本の短期金利はもう一段下がってもいいと思っています。
ところが日本銀行はバブルの教訓から、「葵に懲りて膳を吹く」ように、極端に慎重になっています。
前回のバブル発生の原因は、金利を下げたことそのものではなく、下げた金利を上げるべきときに上げなかったことにあっH谷川土地の場合でも、上がったときに打つべき手として、たとえば国土法の監視区域の設定をなぜ半年も遅らせたのか。
行政の怠慢としかいいようがありません。
そういう意味では、金融の緩和、とくに金利の引き下げがバブルの発生と直結しているというようなことは絶対にあり得ないのです。
どの角度から見てもそういえることですが、この点をとかくマスコミはすぐ短絡してしまうのです。
U草財政がもう少し早目に動くべきでしたが、一九八七年に金利を下げたのは、円高抑制の必要度からいってマクロ経済政策としては順当な面もあったのです。
H谷川もっと端的にいいますと、実質金利を引き下げるという路線に立った金融政策を、日本銀行が遂行していくということになってはじめて円高投機が鎮静するのです。
発動されていないのです。
政策を運営しないと、いろんな歪みが出てきてしまう。
また現在は、一方でバブル崩壊の後遺症が深刻です。
地上げ屋などの悪党を救済する必要はありませんが、バブルの時期、それまでまっとうな人生を歩んできて、切瑳琢磨、努力をしてきて、やっとお金を借りて家を買った。
ところがバブルがはじけて家の価値が半分になり、借金はそのまま残ってしまったという人を、運が悪い一語で片付けていいものか。
これも歪みの一種です。
もちろん自己責任原則というのがあるから、むやみに救う必要はないけれども、必要以上に緊縮した状況が続き、社会不安というところまで拡がっていくとすれば、ある程度緩和するような措置も必要だと思うのです。
H谷川とくに申し上げておきたいのは、日本銀行というのはいったい何が役目なのか、何が最大の役目なのかということです。
たとえばバブルの崩壊にともなって当然、巨額の不良債権を抱えた金融機関が多発する現象が起きます。
そういう金融機関に対して支援の手をさしのべて、金融市場を崩壊させない努力をすることが大事なのか。
それともここでは不良金融機関、経営の悪化した金融機関の倒産は当然だということで思い切った厳しい処置をとるべきなのか。
それとも通貨価値の安定に全力をあげる努力をしなければならないと考えるべきなのか。
というように中央銀行としての機能についての議論があるわけです。
ところが実は、その時々の局面において果たすべき機能はみんな違うわけです。
ある場合には通貨価値の安定が絶対条件であり、ある場合には金融秩序の確立が必要な条件、役割になる、等々いろいろ出てくるわけです。
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